石巻市で太陽光を設置する業者の一括無料見積もりをするメリットは、比較できること!!

\\太陽光で省エネ//

石巻市エリアで太陽光発電をご検討の方へ♪

石巻市でもそうですが、
全国的に太陽光発電が話題となっています。

もし、石巻市で太陽光の施工業者の見積りを一社のみで設置を決めたのであれば、損しているかもしれません!!

実際に、どのように自分に合った太陽光業者探すのかというと
石巻市周辺の太陽光の業者を一括で見積もりするサービス」を利用します。

石巻市で太陽光を設置しようと思った時に、
一社だけの見積もりをでは、それが相場より高いか安いか、
適正な料金なのか知ることができません。

また、各業者によって、同じパネルを載せても見積りの金額がけっこう違う場合があるので、そのような時は、見積りの明細を見比べて、どの金額で差が出ているのか業者に確認すると良いでしょう。

高価な買い物ですので、
パネルメーカーやオプション、補助金・売電価格など、
徹底的に比較して、
納得した上で購入することをオススメします。


商業捕鯨、31年ぶりに再開 クジラで地方が生き返る 安い鯨肉を食卓へ

 鯨捕りにとって31年ぶりの悲願達成を告げる船の汽笛が港に鳴り響いた。1日午前9時30分すぎ、北海道・釧路港。捕鯨船5隻が、海上保安庁の巡視船に見守られ、沖合に出て行った。【写真】31年ぶりに商業捕鯨が再開され、釧路港に水揚げされたクジラ 出航に先立ち、行われた式典。反捕鯨国の海外メディアも多数取材する中、古式捕鯨発祥の和歌山県太地町出身で、日本小型捕鯨協会の貝良文会長があいさつに立ち、「商業捕鯨の再開は心が震えるほどうれしく感無量です」と述べた。

 続いてあいさつした水産庁の長谷成人長官の言葉には国際捕鯨委員会(IWC)を脱退した意義と日本の主張を認めようとしない反捕鯨国へのメッセージがこめられていた。

 「資源の利用が持続的である限り、各国の食文化が尊重されるべきとの当たり前に思える考え方にさえ、(IWCで)クジラの保護のみを求める国々からの歩み寄りはみられなかった」

 操業拠点を限定

 日本はクジラの資源管理を担う国際機関を見限った形だが、国際ルールに反した捕鯨を行うわけではない。IWCが認めた方法で算出した捕獲枠を独自に設定し、「この頭数なら100年継続しても資源に影響を与えない」(農林水産省)規模で操業を続ける。

 さらに、違法操業を取り締まるため、各拠点に捕獲数を調べる監視員を派遣する一方、衛星を利用した船舶位置情報を元に、捕鯨船が排他的経済水域(EEZ)内から出ることがないように監視するという。

 操業拠点は歴史的な捕鯨基地を抱える自治体に限定された。太地町、千葉県南房総市、宮城県石巻市、青森県八戸市、北海道釧路市、同網走市の6カ所は小規模の捕鯨船が沿岸で操業する拠点。一方、山口県下関市は、調査捕鯨の実施主体だった共同船舶(東京)が母船「日新丸」と、遠洋操業が可能な数隻の捕獲船で船団を組む母船式捕鯨の基地となる。

 地方活性化に期待

 鯨肉を安定的に供給できる調査捕鯨主体の枠組みとは違い、商業捕鯨は天候や海流の変化によっても捕獲数が左右される。捕鯨業者が独り立ちするには30年間の空白期間の影響は大きく、商業捕鯨の枠組みはしばらく、農水省が補助金を出して支える「実証事業」として実施される。漁場探索や販路拡大など最適なビジネスモデルの構築を目指して、試行錯誤を続ける。

 そして、商業捕鯨の実施は何よりも人口減少や自然災害被害などを抱え、経済が落ち込む地方の活性化にとって意義が大きい。

 石巻市は、牡鹿半島の付け根にある鮎川浜地区(旧牡鹿町)に20世紀初頭、近代捕鯨の基地が設けられた。以来、同地区はクジラの街として発展。東日本大震災で主要施設が全壊したが、地元の人々の根強い希望もあって、中核となる集合施設が再建されることになった。

 この9月には、鯨肉や加工品を売る直売所や飲食店が入る観光物産交流センターがオープン。来年4月には、捕鯨文化を体感できる博物館「おしかホエールランド」が開館し、津波被害からの復興を促すにぎわいの創出を期待する。

 「(オープンは)商業捕鯨の再開と重なり、まさに千載一遇。以前のように観光客が戻るのも夢じゃない」と語る石巻市の担当者。鮎川港まちづくり協議会の斎藤富嗣会長は「なぜクジラが日本の食文化なのかということを伝えなくてはいけない。(地域の)交流人口を増やす1つのきっかけになる」と意気込む。

 新しい料理PR

 和歌山県は、文化庁が平成28年に太地町を含む熊野灘沿岸地域を「鯨とともに生きる」日本遺産に認定したことを受け、新たなクジラ料理の開発に挑んだ。若い女性をターゲットにした、鯨肉を用いたドリアやピザなどのメニューが生み出された。和歌山県の担当者は「鯨肉は調理次第ではクセがなくなり、さらにおいしくなる。新しい料理をPRしたい」と語る。

 1962年度に23万トンあった国内の鯨肉消費量は近年、5千トン前後まで落ち込んだ。消費者の関心を取り戻すためには、手頃な価格の鯨肉の供給が重要となる。早速、沿岸操業の小型捕鯨船は1日、ミンククジラを釧路沖で捕獲した。水産庁の諸貫(もろぬき)秀樹参事官は「クジラの味を知らない人が増えている。若い人を中心に機会を提供しないといけない。業界、自治体と一緒にプログラムを考える」と語った。

 ■日本の捕鯨の歴史

 日本では各地の沿岸で捕鯨が営まれてきた歴史があり、和歌山県太地町では17世紀に組織的な捕鯨が始まったとされる。1930年代にはクジラが集まる南極海の捕鯨に進出した。だが、60年代以降に国際的に捕獲規制の動きが強まり、82年には国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨モラトリアム(一時停止)を決定。日本は商業捕鯨から撤退し、調査捕鯨を実施してきた。